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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第4節 初雪 [1]




 前方の人影に、浜島(はまじま)は足を止めた。相手も一度立ち止まり、すぐに歩み寄ってきた。
「おはようございます」
「まぁ浜島先生、おはようございます」
 お互い、軽く会釈する。
「浜島先生はお早いんですね」
廿楽(つづら)さんこそ、こんな早い時間に学校へ何の御用です?」
 問われ、華恩(かのん)の母親は品良く口元を緩める。
「えぇ、明日から留守に致しますので急ぎの用を今日中に済ませてしまおうと思いまして」
「留守に?」
「えぇ、ちょっと出掛けますの」
 浜島の問いかけに言葉を濁し、だが問われた事を嬉しく思いながら続ける。
「クリスマスはカナダの別荘で過ごすのが我が家の恒例ですの」
「ほうっ カナダですか」
 こういう時どのような反応をすれば相手が喜ぶのか、浜島は熟知している。
「それはすばらしい」
「大した事ございませんわ」
 ホホホッと笑う声が寒々とした早朝の廊下に響く。
「それで、その後には直接ニュージーランドの方へ移動しますので、日本に戻ってくるのは年が明けてからになってしまいますの」
「年越しはニュージーランドですか」
「えぇ、華恩は寒いのが苦手ですから毎年ニュージーランドの別荘で過ごしますの。でもクリスマスは雪が無ければ雰囲気を楽しむ事ができないとかで、本当にもう我侭で困りますわ」
 困りますわ、などと言いながら、声はとても楽しそうだ。
 と、そこで廿楽は少し声を潜める。
「それで、華恩の卒業の事なのですけれど」
「あぁ、大丈夫ですよ」
 浜島はできるだけどのような感情も込めずに答える。
「ご心配いりません。卒業式まで何の問題もありませんよ」
「それは助かりますわ。さすがに出席日数を小細工してくれなどとは言えませんし、もちろんそのような不正を唐渓(からたに)が許すとは思えませんしね」
「もちろんです」
「入試はもう済んでいるのですから、あとは卒業の方がどうなるのかと、やはりそこのところが心配で」
「大丈夫ですよ。華恩さんはこれまで実に優秀な生徒として通ってこられました。体調が悪くなったからと言って卒業できないなんて事はありません」
 廿楽はその言葉に曖昧な笑みを浮かべる。
 体調が悪くなったからと言って――
 そこでしばらく沈黙が続き、もう話す事は無いと判断した浜島が別れの言葉を切り出そうとして、だがそれは廿楽に遮られた。
「あの、山脇(やまわき)という生徒からは、何か言われているのでしょうか?」
 そこで廿楽は片手を口に当て、慌てて周囲を警戒する。
「あ、やはり殿下とお呼びしなければ――」
「いえ、その必要はありませんよ」
 浜島は、失言したかと慌てる相手の言葉を遮る。
「そのような扱いをされる事を、山脇という生徒はあまり望んではおられないようだ。なにより身分を隠してというのが当初の条件だったので、むしろ呼び方などを下手に変えると返って咎められかねません」
「そうですか」
 相手の言葉に一度は安堵し、だが再びその顔が、少し強張る。
「でも、その身分が知れてしまったのは私達(わたくしたち)のせいなのでしょう? それ以前に華恩の失態もありますし。山脇という生徒から何か抗議などは来ていません? あの大迫(おおさこ)とかいう女子生徒の謹慎を解いたところでは納得していないとか?」
「それは無いと思います」
 まずハッキリとそう答え、一度口を閉じて考えるそぶりを見せてから、改めて口を開く。
「華恩さんの行動については彼の口からは何も出ていません。二年二組の担任からそのような報告を受けています。もちろん大迫という生徒からも出ていませんよ。まぁもっとも、大迫という生徒には華恩さんを責める理由はありませんから、これは当然ですけれどね」
「でも、ずいぶんと横暴な生徒だと聞きますわ。やっぱり育ちのせいでしょうか? 何か理不尽な仕打ちでもしてこないかと、私とても心配で」
「大丈夫です。彼女はこれまでにもたびたびトラブルの種となってきましたが、これ以上問題を起こせば自分の身が危うい事くらい、知っていますよ」
 知るべきだし、知っていてもらいたい。そしてこれ以上、何のトラブルも起こしてくれるな。
「では、山脇という生徒は? 本当は身分を隠してのお忍びの通学だったのでしょう? それが私達のせいで知れ渡ってしまって、何か咎を受けたりはしないのでしょうか?」
「それについては私も方法を誤ったと思っています」
 大迫美鶴(みつる)に好意を寄せる生徒など、ロクな身分でもあるまい。何より素性がハッキリとしないのが怪しい。
 そのような考えで調査をしてみれば、実は中東の王族。敵にまわしてはマズイと慌てて華恩の暴走を止めようとした浜島たちの行動が、瑠駆真(るくま)の素性を校内に広める結果となってしまった。
「私としても、理事長から何か処分は受けなければならないとは思っていました」
「と、言う事は?」
 心配そうな廿楽。そんな相手に浜島は頬を少しだけ緩ませる。
「ですが、大した処分は受けませんでした。勝手な行動は咎められましたが、口頭で済みました。どうやら彼の保護者的立場にある人物からは、特に抗議も無かったようなのです。むしろ事を荒立てるような事後処理は避けて欲しいとの要請を受けたようで、その為に私の処分も口頭注意という軽いもので済みました。ただ、やはり状況を正確に把握しておきたいとかで、近いうちに理事長と会われるようですが」
「浜島先生も同席されますの?」
「いえ、私は会えないと思います。そもそも私にはそこまでの権限はない。なにより山脇という生徒の素性を知らされていなかったのです。彼の転入やその他の事柄に関してからは、私は外されているようですから」
「まぁ、浜島先生が外されるなんて」
「所詮は教頭ですから」
 そんな浜島の耳に、良く透る声が蘇る。

「唐渓での浜島先生の手腕には頭が下がりますが、越権行為は控えていただきたいですわね」

 瑠駆真の素性が知れてしまった件に関して、実際に浜島に厳重注意の言葉を掛けたのは理事長ではない。理事長の秘書を務める似内(にない)という女性。浜島は今回も理事長との面会は叶わなかった。
「そもそも、なぜ山脇瑠駆真の素性を探ろうなどとなさいましたの?」
「彼はあの大迫という生徒とかなり親密に接しています。素性を疑うのは当然です」
「あら、なぜ?」
「なぜ? 当然でしょう」
 思わず浜島は声を荒げてしまった。
「あの大迫美鶴と親しくするなど、唐渓に通う生徒の行動としては尋常ではない」







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